霽月堂は朝鮮粛宗(在位1674~1720)のときの文臣宋奎濂(1630~1709)が建てた別堂建物で、現在の建物は朝鮮末期に再建したものです。霽月堂は正面3間、側面2間の家で、正面3間のうち右側2間の通門にウムルマル(井の字形に組んで敷いた板の間)を設け、左側1間の通門にはオンドル部屋を設けましたが、オンドル部屋の後面にもう1間設けて、上部は物置、下部はオンドルの焚き口として使っています。
玉吾齋は宋奎濂の息子である宋相琦(1657~1723)が建てた建物で、「玉吾」はいっそ割れても玉を選ぶという所信がこめられている言葉で、忠誠にあふれた言葉と道理を守るために、死も辞さないという気概をのぞくことができます。